SPAC宮城聰芸術総監督新作『白狐伝』やシャウビューネ『かもめ』など6作上演 「ふじのくに⇄せかい演劇祭2024」記者会見 

左より宮城聰、中島諒人、石神夏希、三浦直之
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静岡県舞台芸術センターSPACは、毎年ゴールデンウィークに開催する国際演劇祭「ふじのくに⇄せかい演劇祭2024」の記者会見を3月15日に行った。

今年の「ふじのくに⇄せかい演劇祭」は4月27日から5月6日まで、静岡芸術劇場と舞台芸術公園にて開催するほか、駿府城公園での芸術総監督の宮城聰演出によるSPAC新作『白狐伝』を上演。また静岡市街地各所を舞台としたストリートシアターフェスティバル「ストレンジシード静岡2024」も同時開催される。

今年の目玉作品は海外招聘作品のベルリン・シャウビューネ『かもめ』。昨年3月に初演され、本拠地のベルリンではチケットが入手困難になるほど話題を呼んだ。舞台上にとてつもない大きさの木が置かれている趣向だが、日本での上演では舞台上でライブペインティングによって木が描かれるという。また、宮城聰の演出作品は1本のみだが、岡倉天心の戯曲を初めて舞台化するという新作『白狐伝』を駿府城公園の仮設野外劇場で上演する。

記者会見の冒頭、宮城聰は今年の演劇祭についての考えを次のように語った。

SPAC芸術総監督・宮城聰

僕は最近本当に気になっていることは、日本の人達がみんな自己完結型になっていて、他者との関係に興味をもたない、他者との関係に期待しないという傾向が強いように感じるんです。期待しないというのはどうしてかと言うと、「どうせ人は変わんないんでしょ」「人は変わるなんて思ってると却ってやばいよ」「会社は変わんないよ」みたいなね、自分が持ってるものを大事にして、この範囲で楽しもうとか、あるいは、ごく一部の人は「周りはともかくとして、僕は僕を磨くからね」みたいな。そうやってのし上がっていく、現にのし上がっていく人もいる訳なんですけど。それって、元々伸びる人がただ伸びていくだけの世界なんですね。諸外国にはそういう世界ありますけれども。だから、周囲の人との関係の中で自分が成長していくんだっていうイメージを皆さんあんまり信用しなくなった。
そういう風潮の中で、演劇あるいは舞台芸術というのは「それでもなお人は変わり得るんだ」と、あるいは関係の中で人間というのは成長し得るんだっていう夢のようなことを実感させてくれる。つまり、舞台を見て「人生変わったな」って思える、こういう非常に残り少ない機会だと思っているんです。関係の中で、生身の人間と生身の人間が向き合う中で自分が変わっていく、あるいは、自分が変わるってことは相手も変わってるってことなんですよね。そうすると、成長というのが広がっていくというか、単純に言えば自分の世界が広がっていく、そういうことを経験できる貴重な機会だと思ってます。
今、目の前の利益を取り敢えず確保しておこう、せいぜい5年先ぐらいの利益を考えて、5年先損しないようにしておこうみたいな物差し。これはこれでなくちゃいけないんでしょうけど、そういう物差しだけじゃなくて、20年後の自分とか地域とかこの国とかっていうものをちょっと想像して、こっちだと5年後にはまだ結果出てない、でも20年後の自分考えると、こっちを選んでおく方がもしかしたら自分が豊かになってるかもみたいな。この20年後っていう物差しをもう一つのポケットに入れるっていうことを僕は訴えたい、提唱させていただきたいと思っています。
今、目の前の利益確保、5年後を考えることと20年後を考えることと、一番の違いは今二十歳ぐらいまでの人にとってどっちの世界に行きたいか、どっちの国に生きていたいかって考えると、大人達が20年後を考えて選択している国に生きていたいじゃないですか。だから、そういう世の中になっていくといいな、なんて思いながら、僕ら芝居を作る時にも見る人が20年後に豊かになってるような芝居、そういうのを提供していきたい。
それで、20年後に豊かになるような芝居っていうのは、今は苦いかもしれないんです。あるいは見るのにエネルギーが必要だったりしますね。今回の演劇祭で上演するシャウビューネの『かもめ』、これ3時間半ぐらいあります。また内容が極めて悲観的です。人間と人間は理解し合えない生き物なんじゃないかみたいなこと言ってます。でも、そこにアーティストの希望っていうか、微かな希望の光みたいなのを探すスタンスがあるんですよね。

ふじのくに⇄せかい演劇祭2024上演作品

ベルリン・シャウビューネ『かもめ』(演出・トーマス・オスターマイヤー)

ベルリン・シャウビューネ『かもめ』(演出・トーマス・オスターマイヤー)
© Gianmarco Bresadola

ドイツの演劇界に大きな変革をもたらした演出家トーマス、オスターマイヤー率いるシャウビューネの最新作として昨年3月に初演され、本拠地のベルリンではチケットが入手困難になるほど話題を呼んだ作品。オスターマイヤーとシャウビューネは、ふじのくに⇄せかい演劇祭2018に『民衆の敵』で13年ぶりの来日を果たし、客席を巻き込んだ圧巻の演説で観客を魅了したが、今回の『かもめ』では、静岡芸術劇場の舞台上に仮設客席が組まれ、観客は個性豊かな俳優達の演技を至近距離から堪能できる。また、ベルリンの公演では舞台中央に大木が立っていたが、今回は大木の代わりに風景が目の前で描かれていくスペシャル版での上演となる。

宮城のコメント「この作品は招聘が実現したことが本当にびっくりで、難しいだろうなと思いながら交渉してみたら、オスターマイヤーさんの側が、何とかこうやったらできるんじゃないか、ああやったらできるんじゃないかと考えてくれて、実現することになりました。本国では物凄い巨大な木を舞台に置いたんですね。それを静岡まで船で運ぶのはさすがに無理だろうって、瞬時にそう思えるほどでかいものなんです。それで最初オスターマイヤーさんからは日本にある木でやれないだろうかという提案だったんですね。それでかなり検討したんですが、うっかりすると自然破壊という風に言われかねない。「これ、なかなか難しいぞ」ということになってきた時にオスターマイヤーさんが「いいこと思い付いた、明日伝えるから」っていうメールが来て、どんな提案が来るんだろうと思ったら「ペインター、絵書きを連れていくから、それで芝居やってる最中どんどん書いていくんだよ」っていうことで。そういう意味では、昨今の運搬費の高騰も関係ありますけども、これは以前の運搬費だとしてもやっぱり例の大木を持ってくるのは現実的には難しかったと思います。
オスターマイヤーさんは僕より年は少し若いですけれども、もう30代の初めの頃に演劇界の言わば頂点というアヴィニョン演劇祭の法王庁でのオープニングを任されて、僕にとってはいつも目標と言うか、彼の背中を追い掛けているような、そういう存在だった。彼は25年間シャウビューネのディレクターをやってきて、特に最初のうちはショッキングな演出で話題になるような部分が多かったのが、25年間の総決算として『かもめ』を取り上げて、しかもいわゆる人を驚かすようなことは一切ない。僕から見ると、彼のシャウビューネでの四半世紀のまとめになっている、この『かもめ』で総括したなと僕は思いました。この招聘が実現したこと自体がもう日本の劇場界においてかなり、この先もなさそうなことなので、是非見逃さないでいただきたいと思っています」

SPAC『白狐伝』(作・岡倉天心(『THE WHITE FOX』、演出・台本・宮城聰)

SPAC『白狐伝』(作・岡倉天心(『THE WHITE FOX』、演出・台本・宮城聰)近年、同演劇祭のハイライトといえる駿府城公演でのSPAC野外劇公演。今年は日本、そしてアジアの美を世界に知らしめた知の巨人、岡倉天心が、死を前に英語で書き残したオペラ台本「THE WHITE FOX」を、宮城が新たに台本化し、SPACが長年磨き上げてきた二人一役の手法とせりふ術、そして俳優による生演奏で初上演する。同公演では、静岡県立清水南高等学校芸術家演劇専攻生によるプレパフォーマンスも行われる。また、駿府城公演での上演のほか、5月25日には浜名湖花博2024の一環としてはままつフラワーパークでも上演されるという。

宮城のコメント「僕、岡倉天心のことはね、あんまり知らなかったんですね。何かこう、日本の美術というもののオーソドキシー、正当性を確立した人みたいな感じがして、ど真ん中のメインストリームの人物のようなイメージを持ってた。岡倉天心から横山大観といった流れが日本の美術界のど真ん中にあって、そもそも東京芸術大学の最初の学長だとか。
ところが、ちょっと興味をもって彼の人生を調べてみると、全然ど真ん中じゃないんです。もう、たちまち弾き出されて、すぐ傍流になっちゃう人なんですね。そして、横山大観も、今日でこそ日本画と言えば横山大観でしょうみたいな、富士山の絵画を思い浮かんだりしますけど、当時は、上野から放築されて、茨城の五浦(いずら)っていう、当時の本当の田舎ですよね。そこに行って、大観、菱田春草とか、下村観山とか、そういう何人かの仲間達と、本当に何にもない家で、ただ絵だけ書いてるみたい生活してたんですね。そんな、弾き出されていた人がアメリカに行って、英語で「The book of tea」っていう恐らく世界で一番読まれている茶の本を書いた。
そういう傍流、あるいは、自分をセンターに置いておけないような変わり者。その岡倉天心が死ぬ半年前に書いてるのがこの「THE WHITE FOX」っていう戯曲なんですね。ボストンにオペラハウスができるから、その為にオープニングの創作オペラ作ってくれみたいないきさつがあったらしいんですけど、そのオペラ自体は出来上がらず、彼が書いた台本だけがボストン美術館に残った。
それで、その「THE WHITE FOX」を読んでみたら、天心の絶望が、これでもかというくらい描かれてるんです。描かれてるって言うか、にじみ出てるんですね。近代というものに対する絶望です。日本も駄目、欧米も駄目、近代というものそのものに絶望してる。でも、本当に絶望していたら、あんな戯曲残さないです。そこには自分の死後、何十年か先に手渡す希望のようなものが埋め込まれているんですね。僕はたまたまそれを100年ぐらい経ってから受け取ったような気持ちで、埋蔵されてる希望をほじくり返して、ちょっと光る玉にして、駿府城公園で披露したいなと思ってます」

SPAC×鳥の劇場『友達』(作・安部公房、演出・中島諒人)

SPAC×鳥の劇場『友達』(作・安部公房、演出・中島諒人)
24年3月稽古(撮影:平尾正志)

舞台芸術公園野外劇場・有度で上演するSPACと鳥の劇場による初の共同制作作品。世界を視野に入れた作品作りや国際フェスティバルの実施、また地域に根差したアウトリーチ活動など、劇場をもつ劇団として共通点の多いSPACと鳥の劇場が生誕100年となる安部公房の作品に挑戦。両劇団からそれぞれ5名ずつ、計10名の俳優が出演し、鳥の劇場の中島諒人が演出を担当する。

中島のコメント「安部公房は今年でちょうど生誕100年となる作家で、御承知の方も多いと思いますし、日本の劇作家と言うと三島由紀夫と安部公房っていうのがやっぱり世界的に名前が知られているところだと思います。『友達』というのは、「黒い喜劇」って呼ばれてあまり楽しい話じゃないんですよね(笑)。ある青年の家に見知らぬ家族と称する一行が入ってきて、その青年の生活が、飲み込まれてしまう。家を飲み込まれるだけじゃなくて、婚約者も取られるし、給料も押さえられるし、どうもせりふによると退職金まで全部押さえたみたいな感じで、一人の生活を飲み込んじゃう。それで、最後その青年は死んじゃうっていうので、もう何一つ、明るい要素がない感じの作品です。
それで、この作品で安部公房が何をしたかったのかなって思うと、集団と人間というものの関係を考えようとしてたんだろうと思うんです。それが基本的には二種類の角度で考えられていて、その外から入ってくる集団ていうのが、ときに崩壊しかける変な集団なんです。維持はされるんだけれども、前には脱獄した人間もいるし、みたいな変な集団。つまり集団の内部から見た時に、集団というのはこういう性質をもっていたり、こういう変なところもあったり、こういう課題もあったりするみたいなことを内部から見せてくれるっていう側面が一つ。もう一つは、若者から見た時に集団というものがいかにグロテスクなものであるかっていうこと。その若者の目線と集団の内側目線ということで、集団について考えている。
それで、この作品の現代性を私達も考えるんですけど、やっぱり集団の息苦しさのようなものがありますよね。コミュニティーの生きづらさみたいなものがあって、一体私達の社会は何でこんなにこう苦しいものになってしまったんだろうかっていうことを、みんながその中にいると分からないですよ。中にいると分からないんだけれども、そうやってその芝居のような形で外側から見る形になると、私達の社会、現在の社会の課題のようなものについて考えることができるんじゃないかって思っています。
でも、この集団の人達がただ悪い人なのかというと、どうもそれだけじゃなくて、妙なエネルギーがあるんですよ。もう何があっても生きていくっていう妙なエネルギーがあって、それが今の私達の、ややもすると生きるエネルギーを失ってしまいそうになるような、限られた条件の中でなければ私たち生きられませんみたいな、弱っちいところがね、現代人にはあるのかなと思うんですけど、そういうものを越えていく、ともかく生きていくっていう。恐らくこの感覚は、満州を体験してる安部公房さんが培ったものなのかなとも思うんですけれども、満州の混沌の中から生きてきたっていう、それがこの作品の家族の行動力、突破力みたいなものをもって表わしてるんじゃないかなと思うんです。
そういう家族の力っていうものが一つの希望になるんじゃないかと。それからもう一つは、そもそも演劇っていうのが、さっき宮城さんのお話でもありましたけれども、やっぱり集団でやるものなんですよね。集団でその関係性の中でそれをいかに面白いものにしていくかっていうことを考える。あるいはそこにいる人をどれだけ魅力的に見せられるだろうかっていうことを考えていく。そもそも物語なんか離れてしまって、そこに頑張っている人を何か素敵に見せたいっていうようなことでも演劇の現場ってのは動いていくものなんですよね。そういう、その演劇自体がもっている、人間を素敵に見せたい、人間の素晴らしさを見せたいっていう、そういうエネルギー。今回の鳥の劇場5人、SPAC5人という関係性の中で、この異物──思いは共通してる部分はたくさんあるんですけれども、異なるものがぶつかり合う中で、そういう人間の演劇が支えるエネルギーっていうものも感じていただける作品になるんじゃないかなと思っています」

SCOT制作『楢山節考』(作・深沢七郎、演出・瀬戸山美咲)

SCOT制作『楢山節考』(作・深沢七郎、演出・瀬戸山美咲)

昨年、利賀芸術公園「利賀山房」で創作初演された作品を舞台芸術公園の「楕円堂」で上演する。3人の俳優に加え、今回はチェリスト五十嵐あさかが生演奏で参加する。

瀬戸山のコメント「「楢山節考」という小説には、なぜ生きるのかという現代人の悩みを吹き飛ばすような原初のエネルギーがあります。死、というものは厳然とあるのだから、荒々しく生きよと言われているようです。この動物的な小説を身体化したい。そう考えて、昨年、利賀芸術公園の利賀山房という古い合掌造りを改装した劇場で、3人の俳優とともに創作しました。むき出しの身体と声と、人間を圧倒する空間。それがこの作品に必要なものです。
今回、楕円堂という唯一無二の空間で上演できることをとても嬉しく思います。楕円堂では、2018年にクロード・レジ演出の『夢と錯乱』を見て、真っ黒な闇の中で自分自身が消えるような体験をしました。今回私達は楕円堂に何を出現させ、お客様とどんな関係を結んでいけるのか、滞在して稽古させていただくので、しっかり格闘していきたいと思います。また、今回の上演では新たにチェロの生演奏が参加し、人間と自然の相克をより深く描きます。是非体感しにいらしてください」

宮城のコメント「僕が感心したのは、瀬戸山さんが演劇においての色々な飛び道具っていうか、俳優をサポートする防具のようなものを殆ど排除してしまって、生の肉体とテキストが、空間という巨大な敵とぶつかり合うという、最もプリミティブなことをされてたんですね。本当に防具をすべて捨てて、俳優が言葉と空間に向き合う。こんなシンプルな演劇こそ、今日の観客を励ますんじゃないかって思った。ただ、その上演が成立するためには、利賀山房のような有無を言わさぬ空間の力が必要な訳です。僕は利賀公演を見た後で「いや、これ素晴らしい作品だったけど、利賀山房以外でできるかな」って聞いたんです。つまり、東京の劇場じゃできないんじゃない?という意味で。彼女はうーんとか言って、2、3日してから「楕円堂はどうでしょう」って言われて、なるほどなと(笑)。本当に今回もとても楽しみです」

間食付きツアーパフォーマンス『かちかち山の台所』(演出・石神夏希)

『かちかち山の台所』(演出・石神夏希)

舞台芸術公園の園内全体を舞台として、昔話のカチカチ山を題材に、自然の中を散策しながら物語と出会い、食べて楽しむ回遊型演劇。

石神のコメント「舞台芸術公園は、有度山という山にありまして、絶景で知られる日本平もこの有度山の山頂なんですね。そこと続いている山のもう少し低いところに舞台芸術公園があるんですが、ここからは日本平も見えますし、それから天気の日は富士山もとてもよく見えるすごく美しい場所でもあります。ですが、演劇祭でお越しになった方は、劇を見るのに忙しくて、なかなかゆっくり散策したことないなと。是非、この環境を楽しみながら、ゆったりとした時間も過ごしていただきたいなというのもこの企画の一つ目的でもあります。
この地域を江戸時代に清水に住んでた絵師が書いた風景画を見せてもらったんですけど、あんまり変わってなくて、そんな昔からの雰囲気が残っている。そういった自然と人の営みが入り交じる、いわゆる里山の風景が広がる中を、皆さんご自身でも発見していただきながら体験していただくというような作品になっています。
それと「間食付きツアーパフォーマンス」というのは、この作品、12時半に開演になるんですけれども、途中で、あるいは最後にちょっとおやつのような、何か間食が出るような企画になっています。ちょっと作品にちなんだおいしいものも食べながら体験していただきます。
そして、かちかち山って、タヌキが畑で悪さをして捕まって、タヌキ汁にされそうになるのを、お婆さんをやっつけて逃げ出すという話ですけども、最近はタヌキもお婆さんも怪我するぐらいで終わったりするお話が多いみたいなんです。ただ元々の話だとタヌキがお婆さんをやっつけて、婆汁を作って食べちゃう話なんですよね。それで、読んでいると、凄くざわざわしてくるというか、確かにタヌキ、最後にこらしめられちゃいますけど、じゃ、この婆汁とタヌキ汁、どっちが悪いんだろうとか、あるいはタヌキが畑を荒らしたのは悪いかもしれないけど、畑になる前、元々タヌキが住んでたんじゃないのか?とかね、色んなこと考えさせられるんです。でも、先に住んでた方が偉いのかといったら、そうとも言い切れない。それじゃあどうしたら共存できるんだろうとか、本当にある意味今日的なことを考えさせられる。異なる正義同士の対立が激しくなってる今だからこそ、子供たちとも一緒にこれについて考えてみたいと思っています」

宮城のコメント「SPACにとって大事なホームの一つですけども、この舞台芸術公園という場所そのものの魅力を発見してもらおうという作品で、これはよく言う言い方をすれば灯台もと暗しと言うか、足元にあるからよく見ていないものの中に、何かこう魅力とかあるいは希望みたいなものを発見しようという、そういう作品です。
舞台芸術公園は、原生林というと変な言い方ですけど、長いこと人間が手を入れてこなかった、そういう雑木林の中にあります。そういう林自体がとても珍しいんですね、植林されていない林だから。すごく近くにあるのに1000年前と同じ風景がある場所っていうのを再発見する。これも僕らにとっては、生きるうえでね、ちょっとしたこう励ましになる作品じゃないかなと思っています」

グランシップこどものくに連携事業『マミ・ワタと大きな瓢箪』(演出・振付・出演・メルラン・ニヤカム)

『マミ・ワタと大きな瓢箪』(演出・振付・出演・メルラン・ニヤカム)
© Peggy Riess

2010年からSPACのスパカンファンプロジェクトで振付・演出を手掛けているカメルーン出身のダンサー、振付家のメルラン・ニアカム。が、アフリカの神話に基づく不思議な世界を躍るソロパフォーマンス。演劇祭と同じゴールデンウィークにグランシップで開催される「グランシップこどものくに」との共催公演。

宮城のコメント「ニアカムさんの作品は、近代化によって失われていったものを取り上げることが多くて、非常にある意味で近代文明の告発になっている鋭いものなんですね。しかし、それと同時に、ニアカムさん自身の体が本当に誰に対してでも開いている。誰一人拒まない体なんです。僕は一番最初にニアカムさんと会った時のことをありありと思い出すんですけど、冬だったんですけどニアカムさんの前にいると自分が、何かあったかくなってくるんですよ。そういう彼の特質を最大限味わってもらうために、今回グランシップこどものくにのフレームの中で上演していただくことにしました。
こどものくににいらっしゃる方々は、劇場にあまり馴染みがない人も多いかもしれません。でも、ニアカムさんは、誰一人拒んでない。全員が歓迎されている、そういう空間になる。こういうものを小さい子どものうちに、それも保護者の方と一緒に見てもらえたら、この先の宝物として体の中に残るんじゃないかなと思っています」

ストレンジシード静岡2024

ストレンジシード静岡
 

2016年から駿府城公園をはじめ、静岡市街地各所を舞台としたストリートシアターフェスとして毎年ゴールデンウィークに行われているストレンジシード静岡。今年は「なんだ?なんだ?なんだ?」というテーマで、5月4、5、6日の3日間、フェスティバルがプロデュースするコアプログラム2組(オムニバス・ストーリーズ・プロジェクト、BONG n JOULE)、フェスティバルと提携による上演を行うオフィシャルプログラムに4組(サファリ・P、劇団 短距離男道ミサイル、ワワフラミンゴ、お寿司)、公募で選ばれたアーティストによるオープンコールプログラムに
6組(ほころびオーケストラ、鈴木ユキオプロジェクト、浅川奏瑛×演劇空間ロッカクナット、のあんじー、第二次谷杉 ≒ ミミトメ、Co.SCOoPP)が参加する。

フェスティバルディレクターのウォーリー木下のコメント「ストリートシアターっていうものは、劇場でやってる作品をただ外で見るわけじゃなくて、外でしかできない、外だからこその表現がたくさんあります。劇場を飛び出したいくつものびっくりや驚きや笑いや感動を、「なんだ。なんだなんだ」という3つの言葉に集約してみました。ぜひ新しい表現に触れてみてください。
今年は、初めて「シティエリア」と「パークエリア」という2つの大きいエリアを作りました。「シティエリア」は静岡の商店街や繁華街がある「おまち」と呼ばれるところを中心にしたエリアです。「パークエリア」は、例年上演を行っている駿府城公園のエリアになります。今年のコアプログラムのロロはシティエリアで、そして韓国からやってくるBONG n JOULE(ボンジュール)はパークエリアで上映を行います。それぞれ静岡の町としての魅力があれてる、全く違う2種類のエリアになってますので、もちろん作品を楽しむこともそうなんですが、静岡をぜひ2つ行って楽しんでもらえたらなと思います。
静岡の皆さんにはだいぶ知れ渡ってきて、かつ、東京や大阪や全国各地からですね、お客さんが見に来てくださるようになりました。今年、オープンコールプログラムはですね、例年以上の募集、応募がありまして、参加型とかワークショップ型とか、ただの演劇やダンスではないものばっかりが本当にたくさん集まりました。何か表現者の皆さんがですね、このストレンジシードを、実験の場として今捉えていただいてるような気がします。そういう有象無象の不思議な空間がゴールデンウィークに静岡に現れますので、ぜひ体験しに来てください」

ストレンジシード静岡2024コアプログラム上演作品

オムニバス・ストーリーズ・プロジェクト『パレードとレモネード』(テキスト・演出・三浦直之(ロロ))

オムニバス・ストーリーズ・プロジェクト『パレードとレモネード』(テキスト・演出・三浦直之(ロロ))
東京芸術祭 2023 直轄プログラム FTレーベル ロロ「オムニバス・ストーリーズ・プロジェクト(カタログ版)」(撮影:阿部章仁)

三浦のコメント「オムニバス・ストーリーズ・プロジェクトは、僕が書いた50名の架空のキャラクターのプロフィールを元に物語を立ち上げていくっていうプロジェクトで、そのプロフィールの中から一人のキャラクターを選んで、参加してくれた人はみんなでそのキャラクターの一代記を作ってみる。その一代記を戯曲にして作品を作ったりしています。今回の『パレードとレモネード』でやるのは、その50名のキャラクターのプロフィールを元に僕が書き下ろした短い一つ一つのエピソードで、大体1分から長くても4分くらいのすごい短いエピソードをバァーッて連続して上演していくっていうものをやろうと思っています。
出演者の募集には本当にすごくたくさんの方が応募してくださって、年齢も幅広い、静岡在住の方もいれば、静岡外の人達からもたくさん応募があったんですね。年齢や住んでる場所とか、ばらばらの人達が集まって、そこで生まれてくる関係っていうのをきちんと作品にしていきたい。
それから本当に凄く短い瞬間がずっと積み重ねられていくんですね。見終わった後に、見た人達の景色とか、人を見るその解像度が上がってるといいなって思っていて。今もここから外の景色が見えて、公園で遊んでる子供の姿とか、道を行き交う人達の姿とか、たくさん見えるんですけど、そういう瞬間、ちょっとした中にもそれぞれの物語があって、そういうものをすくい取る演劇を作りたいなって思っています。
僕、劇場もすごい大好きなんですけど、でも、劇場だったら出会えないような観客と出会えて、そういう人達に作品が届くっていう瞬間て、本当に他の何も変え難いっていうか、凄く毎回感動させてもらっていて。僕の作る作品って、凄く固有名詞を使うことが多いんですね。そのことに対する後ろめたさがずっとあって。固有名詞って、そのコードに乗れるか乗れないかっていうことで、凄く分けちゃうんですよね。だから、僕が使う固有名詞は、僕と同時代にいて、僕と同じようなカルチャーを摂取してる人とかっていう風な、凄く閉じられたコミュニティーを作っちゃうんじゃないかという不安がずっとあったときに、このストレンジシードに参加させてもらって、見に来た人が多分、普段そんなに積極的に劇場に足を運ぶような人じゃない人もきっとたくさんいただろうし。で、凄く小さい子だったり、年配の方だったりもいる中で、その中でちゃんと、笑いが起きて、最後あったかい拍手が生まれてっていう瞬間が凄く僕は感動したんですね。あの広がりみたいな、そういうものに僕はやっぱ何かずっと憧れながら演劇を作っていて。今回もそういう瞬間が生まれるといいなと思います。それで、見終わった後、他の公演やってるから見に行こうってなったり、ちょっとうまいもん食おうとか、作品を見るっていうことだけが演劇の体験なんじゃなくて、そういう飯食うとか、町歩くとか、何かそういうのを全部引っくるめて演劇体験だっていうのを、毎回このストレンシードに参加させてもらうたびに感じます」

「ふじのくに⇄せかい演劇祭2024」の公演情報はこちらから=>

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