劇作家・北條秀司、肝不全で死去

 新派や歌舞伎などの劇作家、演出家として活躍し、日本演劇協会名誉会長も務めていたた北條秀司(ほうじょう・ひでじ=本名:飯野秀二=いいの・ひでじ)が十九日午後1時10分、肝不全のため、神奈川県鎌倉市自宅で亡くなった。93歳。


 1902年大阪市生まれ。天王寺商業在学中、宝塚歌劇の脚本募集に入選。関西大学を卒業後、箱根登山鉄道に勤めながら劇作を志し、大衆作家の岡本綺堂に入門、雑誌「舞台」の同人になる。37年に上演された新国劇の「表彰式前後」でデビューした。39年、綺堂氏の死を機に会社をやめて劇作に専念し、翌年、「閣下」で新潮社文芸賞を受賞。その後、舞踊劇や宝塚歌劇のレビューまで幅広く作品を書き、戦後は新国劇と新派、歌舞伎の売れっ子作家として、活躍した。
一方、64年には作家や演出家、評論家などでつくる日本演劇協会長に就任(94年に退任、名誉会長に)、81年から国際演劇協会長も務めた。すべての作品を自ら演出し、全作品がオリジナルという姿勢を貫き、妥協を許さない言動で「北條天皇」とも呼ばれた。
主な作品は、新国劇では名棋士坂田三吉を主人公にした「王将三部作」、「井伊大老」、新派では花柳章太郎のために書き下ろした「女将」「太夫さん」、歌舞伎で「狐と笛吹き」「建礼門院」など。これらの作品は最近もたびたび上演され、昨年十一月には東京・歌舞伎座で「建礼門院」、翌十二月には同・新橋演舞場で「佃の渡し」、先月も歌舞伎座で「井伊大老」が上演された。最後の書き下ろし作品は93年3月、新橋演舞場で上演された緒形拳主演「信濃の一茶」で、それまでに手がけた作品は戯曲だけで200本を超える。ここ数年は自宅にこもったままだったが、大杉栄、神近市子らを描いた長編の新作に取り組んでいたという。
 舞踊作品や、ラジオドラマなども多く、それらを収めた「北條秀司戯曲全集」(全12巻)で64年に芸術選奨。65年には読売文学賞、73年、演劇文化への貢献で菊池寛賞、87年に文化功労者。著書に「北條秀司戯曲選集」(全8巻、補巻4巻)、「演劇太平記」(全6巻)などがある。

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