2026年2月16日、東京・初台の新国立劇場にて、演劇部門の2026/2027シーズン ラインナップ説明会が開催された。2026年9月に7代目の演劇部門芸術監督に就任する上村聡史(かみむら さとし)が登壇し、就任1年目の全7演目と3つの意欲的な新プロジェクトを発表した。
現在の小川絵梨子監督が8年間にわたり築き上げた「フルオーディション方式」や試演を繰り返して作品を作り上げる「こつこつプロジェクト」といった「開かれた劇場」の土台を継承しつつ、上村が新たに打ち出したのは「物語の更新(アップデート)」という野心的なビジョンである。公式会見、そしてその後の懇親会で語られた言葉から、上村時代の新国立劇場の姿を展望する。
20年の歳月を経て芸術監督へ
上村と新国立劇場の縁は、今からおよそ20年前に遡る。「初めてこの劇場の門を叩いたのは、演出助手として参加した時でした。それから10年ほど前から演出を任されるようになり、まさにここで育てられた自負があります」と上村は語る 。
もともとは演劇ではなく映画少年だったという。子供の頃に、父親が借りてきた映画のビデオを観て、「芸術とはこれほどまでに面白いものか」と衝撃を受けたことが、全ての始まりだった。大学で文学座の門を叩き、俳優を志した時期もあったが、「自分には向いていない」と早々に演出の道へ転向したというエピソードも明かされた。
「まさか自分がこの職に就くとは夢にも思わなかった」と語る上村は、外部から招かれた監督ではなく、劇場の細部を知り尽くした「現場の叩き上げ」として、諸先輩方が築いてきた伝統に「さらなるサプライズ」を加えると語った。
「国立の役割」をあえて定義しないという誠実さ

記者会見後の懇親会では、報道陣から「新国立劇場の役割とは何か」という本質的かつ鋭い問いが投げかけられた。これに対し、上村は非常に示唆に富む回答を寄せた。
「国立劇場の役割を、あえて言葉で明確に定義しないようにしています。それを定義付けしてしまった段階で、表現は一歩も動けなくなり、つまらなくなってしまう」
一見、はぐらかしたようにも聞こえるこの言葉には、上村の強い信念が込められている。「国立だからこうあるべき」という固定観念に縛られるのではなく、個々の作品、表現者、そして観客との対話の中で、その都度「公共性」や「サプライズ」の形を模索し続ける。この動的なプロセスこそが、上村体制における新国立劇場の姿になるのだろう。
ビジョン:「物語の更新(アップデート)」
上村が掲げたスローガンは「物語の更新(アップデート)」である。文明の進歩と、それとは裏腹に逆行するかのような世界情勢の中で、演劇はどうあるべきか。上村は4つの視点を提示した。
現代的、国際的、批評的:古典から新作まで、常に「今」の視点で捉え直す。
クロスオーバー、他ジャンルとのつながり:漫画、ダンス、音楽など、他ジャンルの才能と衝突し、化学反応を起こす。
新しい才能との出会い:オーディションや研修所との連携を深め、次世代のクリエイターが息づく場を作る。
消費で終わらないパフォーマンス:環境負荷の低減や、一過性ではない再演の価値を追求する。
ラインナップ詳報:開幕作は『巨匠とマルガリータ』
『巨匠とマルガリータ』出演の成河、花乃まりあ、篠井英介、松島庄汰、菅原永二、大鷹明良
就任第1作目(2026年11月)として選ばれたのは、20世紀ロシア文学の至宝ミハイル・ブルガーコフの『巨匠とマルガリータ』だ。エドワード・ケンプによる翻案版では、主人公が小説家から「劇作家」へと変更されており、より演劇的な自己言及性を孕んでいる。
上村は本作を「不滅の芸術賛歌」と位置づける。作中のキーワード「原稿は燃えない」を「演劇は燃えない」「芸術は燃えない」と読み解き、権力による抑圧を乗り越える芸術の力を描く。
演出の構想についても触れ、作中の「悪魔」を単なる幻想的な存在としてではなく、現代的なツールを持ち込み、過去の時代と現代をフィードバックさせるような存在として描く意図を明かした。主演の成河をはじめ、花乃まりあ、篠井英介ら、上村が信頼を寄せる実力派が顔を揃える。
【12月:他ジャンルとの衝突『ミノタウロスの皿』】
藤子・F・不二雄の衝撃的なSF短編漫画を世界初舞台化する。演出には、ダンスと演劇を越境するスズキ拓朗を起用。「命を食すことの倫理」という重厚なテーマを、スズキ氏特有の身体表現と映像演出で、4歳以上から楽しめるエンターテインメントへと昇華させる 。
【2027年春:国際的・批評的な4作品】
3月からは、日本初演作を含む意欲的なラインナップが続く。
『ナハトラント~ずっと夜の国~』(3月):ドイツのマイエンブルクによる、ナチスの遺品を巡る風刺劇。演出は柳沼昭徳。
『見えざる手』(4月):アヤド・アクタルによる資本主義と信仰のサスペンス。上村自らが演出を手掛ける。
『Ruined 奪われて』(5月):コンゴの内戦下を生き抜く女性たちを描く。五戸真理枝演出。
『抱擁』(6月):山田佳奈(ロ字ック)による新作書き下ろし。現代日本の人間関係を鋭く穿つ。
新プロジェクト:持続可能な表現への挑戦
上村体制では、上演作品以外のプロジェクトも劇場にとっての大きなテーマとなる。
1.グリーン・リバイバル・ラボ
「消費されない演劇」を具現化するプロジェクト。懇親会で上村は、ヨーロッパの劇場で目撃した「照明やスタッフワークの工夫により、同じ舞台美術を使い回しても観客に気づかせないほど多様に見せる技術」に感銘を受けたことを語った。
第1弾として、2023年に自身が演出した『エンジェルス・イン・アメリカ』を再構築して上演する(7月)。上演にあたっては、過去に新国立劇場で上演された『レオポルトシュタット』『白衛軍』、および同シーズン開幕作『巨匠とマルガリータ』の舞台美術を一部再利用する。
2.ドラマクエスト―物語の探求―
単なる「観劇」で終わらせず、作品の背景にある歴史や戯曲を深く研究・共有するプロジェクト。「観客と一緒に考える豊かさを届けたい」という上村の知的な劇場観を体現する。
3.劇作コンペ・出演者フルオーディション
演出家と劇作家がチームを組み、さらに出演者も公募で選ぶという、次世代の才能を全方位から募る野心的な企画だ。
他部門との交流にも意欲
説明会の最後、上村は「まずはオペラ部門の大野芸術監督やバレエ部門の吉田芸術監督に挨拶し、会話をすることから始めたい」と、ジャンルを超えた交流への意欲を茶目っ気たっぷりに語った。
上村の言葉からは、かつて演出助手としてこの劇場の空気を吸っていた者だけが持つ、現場への深い敬愛と、それを自らの手で創り直そうとする強固な意志が感じられた。
【新国立劇場 2026/2027シーズン 演劇部門ラインナップ一覧】
2026年11月:『巨匠とマルガリータ』(中劇場)
原作:ミハイル・ブルガーコフ 演出:上村聡史
2026年12月:『ミノタウロスの皿』(小劇場)
原作:藤子・F・不二雄 演出:スズキ拓朗
2027年3月:『ナハトラント~ずっと夜の国~』(小劇場)
作:マリウス・フォン・マイエンブルク 演出:柳沼昭徳
2027年4月:『見えざる手』(小劇場)
作:アヤド・アクタル 演出:上村聡史
2027年5月:『Ruined 奪われて』(小劇場)
作:リン・ノッテージ 演出:五戸真理枝
2027年6月:『抱擁』(小劇場)
作・演出:山田佳奈
2027年7月:『エンジェルス・イン・アメリカ』(小劇場)
作:トニー・クシュナー 演出:上村聡史





