厳密な意味でのエリザベス朝演劇とは、エリザベス1世統治下にあたる1558〜1603年の演劇を指すが、演劇史では通常、次のジェイムズ1世、チャールズ1世の時代も含め、1642年の清教徒革命によって劇場が閉鎖されるまでをいう。
この時期、イギリスのみならず、フランス、スペインでも多くの優れた作家が輩出された。これら3国は、政治的または宗教的な長年の乱世を経て、絶対王制の下に安定するようなったことで、都市の発展、商工業の発達をもたらし、ひいては演劇の発展へとつながっていった。これによってヨーロッパでは紀元前5世紀のギリシア演劇に続く、2度目の演劇黄金期を迎えることになる。
その中にあって特にイギリスは、1588年、スペインの無敵艦隊を破ったことで国民意識が高まり、ロンドンは大英帝国の首都として世界最大の都市になった。
こうした中にあって、1576年、当時の有力劇団だった侍従大臣一座の座長ジェームズ・バーベッジは、イギリス最初の公衆劇場「演劇座」(The Theatre) をロンドン郊外に建設した。翌年には「幕座」(The Curtain) ができ、次々と公衆劇場が建てられた。シェイクスピアの座付き一座が本拠地とした有名な「地球座」(The Globe) は、1599年に建設されている。当時、演劇は文学などの芸術的なものとは別種の、俗悪なものとしてみられており、このため劇場は市の中心部ではなく、市を取り巻く城壁のすぐ外側に、クマいじめなどの見せ物小屋と並んで建てられていた。
劇場の構造としては、張出し舞台と土間を桟敷が囲んでいて、舞台奥の一部と桟敷席だけに屋根が付いており、土間は立ち見の客席で、それを囲むように回廊席が2階建てで設けられていた。つまり劇は天井のない野天の状態で、昼の太陽光の下で演じられた。この時代、女優は禁止されていたため、女役は声変わり前の少年が演じていた。
劇場の建設ラッシュに合わせるかのように、劇作の世界でも優れた劇作家たちが現れた。流血劇『スペインの悲劇』(1589ころ) のトマス・キッド(1558〜94)、『ファウストゥス博士』(1589ころ)、『マルタ島のユダヤ人』(1590ころ)、『エドワード2世』(1592ころ)などのクリストファー・マーロウ(1564〜93)、『ヴォルポーネ』(1606)、『錬金術師』(1610)のベン・ジョンソン(1572〜1637)などが有名だが、なんといってもその頂点に立つのはシェイクスピアである。
シェイクスピア以降の世代—ジェイムズ1世からチャールズ1世の治政下では、『白い悪魔』(1612)、『モルフィ公爵夫人』(1614)のジョン・ウエブスター(1580ころ〜1634)、『あわれ彼女は娼婦』(1630ころ)のジョン・フォード(1586〜1639)、『復讐者の悲劇』(1607)のキリル・ターナー(1575〜1626)、『チェンジリング』(1622)のトーマス・ミドルトン(1580〜1627)などが登場し、演劇界全体として次第に官能的、倒錯的な残酷悲劇へと流れていった。
演劇は常に道徳的非難を浴び、検閲を受けていたが、1642年に清教徒革命が起きると、すべての劇場が閉鎖され演劇的活動もいっさい禁止されてしまう。これでエリザベス朝演劇の時代は終わりを迎える。
