1860-1904年。ロシアの短編小説家、劇作家、医師。
南ロシアの港町で雑貨商を経営する家の3男として生まれたが、16歳の時に家が破産し、モスクワ大学医学部で学びながら家族を養うためにコントやユーモア短編を書き、やがて本格的な小説を手掛けるようになる。その一方で、少年時代から演劇好きだったチェーホフは、1880年代はじめ、大学2年の時に大作『プラトーノフ』を一応完成する。しかし、本人は気に入らなかったためか未発表のままになり、死後の1923年に発見されることになる。
やがて、『煙草の害について』(1886)、『白鳥の歌』(87)、『熊』(88)、『プロポーズ』(89)などのボードビル劇を発表し、その名を高めていくが、90年には結核の身を押してシベリア経由でサハリンへと渡り、囚人達の実態を描いたルポルタージュ「サハリン島」を発表する。このサハリン渡航がどういう理由で行なわれたのかは謎とされるが、これの後に彼は代表作を次々と書き上げる。
96年、喜劇『かもめ』を発表する。これは初演では不評だったが98年にモスクワ芸術座によって上演されて評価が一転し、画期的成功を収めた。翌99年には89年に『森の喜劇』として発表し不評だった4幕劇を改作した『ワーニャ伯父さん』を発表、その後も『三人姉妹』(1901)、喜劇『桜の園』(04)と立て続けに演劇史上に残る傑作を書いた。
チェーホフの作品は、ロシアの長く過酷な冬に代表されるような閉塞的状況下における人間関係とその状況から脱出しようとする夢と挫折が、独特の喜劇性をもって描かれており、表面的にリアリズム的にみえるが、実際には非常に技巧的に描かれている。また、その作品の描く閉塞状況は、現代社会の抱えるものとも重なるものであり、多くの演出家が舞台化に取り組む要因の一つとなっている。
晩年、作品がヒットを続けたチェーホフだが、『桜の園』発表後、療養先の南ドイツの温泉地バーデンワイラーで44歳という働き盛りのうちに客死した。
